1. はじめに:AI時代の到来と教育の変革
今、私たちはAI(人工知能)が社会のあらゆる側面に浸透していく、まさに歴史的な転換期に生きています。自動運転車、AIによる医療診断、データ分析、そして私たちの日常会話を助けるチャットボットまで、AIはもはやSFの世界の話ではありません。この急速な変化の波は、私たちの仕事のあり方、コミュニケーションの方法、そして何よりも「教育」に大きな変革を迫っています。
「AIがこれほど進化するなら、勉強なんて意味がないのでは?」と感じる方もいらっしゃるかもしれません。しかし、私はAI時代において、「国語力」はこれまで以上に重要になると確信しています。AIがどれだけ高度な処理能力を持っても、それを適切に「使いこなし」、AIでは代替できない「人間ならではの思考力」を発揮し、そして何より「自己を表現し、他者と共感する」ためには、揺るぎない国語力が不可欠だからです。
2. AI時代に「国語力」が重要である3つの理由
AIの進化は目覚ましく、私たちの想像を超えるスピードで社会に変化をもたらしています。このような時代に「国語力」がなぜ不可欠なのか、保護者の皆様にぜひ知っていただきたい3つの理由があります。
AIを「使いこなす」ための国語力
AIは非常に強力なツールですが、それはあくまで「ツール」です。どれほど高性能な道具も、使い方を間違えればその真価を発揮できません。AIを最大限に活用し、私たちの意図する結果を導き出すためには、「的確な指示(プロンプト)を与える国語力」が不可欠です。
例えば、ChatGPTのような生成AIに何かを依頼する際、あいまいな指示では期待通りの答えは返ってきません。「いい感じの文章を書いて」ではなく、「〇〇について、□□の視点から、△△の読者層に響くような、200字程度の説明文を作成してください。特に□□の部分を強調してください」といった具体的な指示が必要です。この「具体的に、論理的に伝える力」こそがこれからの社会人に求められる国語力なのです。
さらに、AIが生成した情報が常に正しいとは限りません。フェイクニュースや偏った情報も混ざっている可能性があります。AIの生成物を鵜呑みにするのではなく、その内容を「評価し、修正する能力」も求められます。これは論理的な整合性を判断したり、情報源の信頼性を検証したりする、高度な読解力と批判的思考力に裏打ちされた国語力なしには成し得ません。最近の国語の共通テストに情報を複数処理する問題が出ているのもその表れでしょう。「情報Ⅰ」が必修になったのも同じです。
そして、AIを導入する組織やチームの中で、他者と協働する上での円滑なコミュニケーションも極めて重要です。AIが出力した結果について議論したり、新たな活用方法を検討したりする際には、自分の考えを明確に伝え、相手の意見を正確に理解する国語力が基盤となります。
AIには代替できない「人間ならではの思考力」を育む国語力
AIは膨大なデータを処理し、パターンを認識することに長けていますが、「創造的な思考」や「深い洞察」は、人間ならではの領域です。情報過多の時代だからこそ、私たちはAIが提供する情報の波に流されず、その「真偽を見極める力」や「多角的に思考する力」を養う必要があります。
国語の学習は、文章を通して筆者の主張を読み解き、その背景にある意図や感情を想像する訓練です。これは、物事を表面的に捉えるのではなく、本質を見抜く「論理的思考力」疑いを持って問いを立てる「批判的思考力」を育みます。AIが提示する答えに満足せず、「なぜそうなるのか」「他にどんな見方があるのか」と深く掘り下げる探求心や好奇心は、国語力を通じて培われるのです。
AIは問題解決のツールを提供できますが、「本当に解決すべき問題は何か」を発見し、「新たな問いを立てる」のは人間の役割です。国語力はこうした問題発見能力や、まだ見ぬ未来を切り拓くための基盤となる思考力を育む上で不可欠な素地となります。
「自己表現力」と「共感力」を高める国語力
AIが普及すればするほど「人間らしさ」、すなわち個性や人間性がより高く評価される時代になります。画一的な情報処理はAIに任せ、人間はより本質的な部分、つまり「自分の考えや感情を明確に伝える力」、そして「他者の意図を理解し、共感する力」が求められるようになるでしょう。
国語は言葉を通じて自己を表現する訓練の場です。自分の感じたこと、考えたことを、相手に伝わるように整理し、適切な言葉を選んで表現する。これはプレゼンテーション能力や、多様な意見を持つ人々と建設的な議論を行うディスカッション能力の土台となります。
また、文学作品や他者の文章に触れることで、私たちは登場人物の心情や筆者の意図を想像し、共感する心を育みます。この「共感力」は、AIには決して持ちえない、人間特有の能力です。グローバル化が進み、多様な価値観を持つ人々と協働するこれからの社会において、共感力は人間関係を円滑にし、新たな価値を創造するための重要な鍵となります。
個人的にはこの「共感力」が今最も弱くなっているように思います。だからこそ、文学が今後入試から姿を消していくというのはちょっと受け入れがたい方向性だというのが正直な思いです。
